攻撃は止まない
敵の攻撃はどこにいても受けている。
風呂に入っても、散歩していても、敵はどこかから見ている。
こんな寒い日に水しか出ないのは誰かが切ったな。
風邪をひかせようとしたのかもしれないし、もしくは早く出させるように誰かがやったことかもしれない。
誰かが風呂の時間を短くしろと伝えたのかもしれない。
それであっても敵の攻撃と受け止めたほうがいい。
何かあってからでは遅い。
敵が何したいかなんて分からない。
でも、あいつらのことだから恐らく風邪をひかせようとして、力を弱めることが狙いだ。
新しい息吹は壊させない、止めさせない。
何者かになってやる。
大きな国は沢山の問題を抱えている。
小さい国は批判する。
小さいものは吠える。
大きくて戦うものはいい。
今小さいと言われても、それは邪魔をしにきている。
しかし注意がある。
普通の判断から離れてしまうと、自分に必要な選択でも、自分の中が崩れやすくなったり、敵が壊しにくる。
つまり言いたいことは常識、普通の判断から離れすぎると、多数派の意見で自分のやるべきことすら見失う瞬間がある。
逸脱した人間を狩りたいというのがあいつらだ。
今回お湯が出なくなったことをこうして書いたことで一つハッキリした。
優しさだけでは狩られる。
逸脱した、間違えた人間になるのだ。
本当に自分が欲しいなら自分の欲しいものを掴みに、作りに行かなくてはならない。
気の弱いやつを狩るのはもう人間の遺伝子なんだろう。
人間も動物で進化しただけの元は猿だ。
そんな中でもルールを作り、安心を作ってきたのかと思う。
しかし個人、自分を殺すものになっていることに気づけたなら捨てるのは良いことだろう。
どうでもいいことに対しては常識や普通の考えをおいて適当に流すべきだろう。
それでもやはり常識、普通という言葉は個人を壊すものだ。
そこで嫌なことをされたら落ち込むのではなく、絶対に勝ってやると考えることだ。
こう言えないのはそういう事は慎むべきという悪のジョウシキがあるからだ。
そんなものに沿ってはならない。
慎しんでもこれは逃げている。
嫌なことをされたらされたのだと認められない。
そして世界も認めはしない。
自分がやられたことに気づかなくてはならない。
嫌なことをされたら戦い勝ちに行く。
この考えから逃げてはならない。
逃げた人生になるからだ
そしてこれは自分に問いかけるのであって、あいつらには言わないことだ。
戦う精神を伝えたら、傍観者達も倒そうと敵に寝返る。
ウソつき達が蔓延っている。
自分が悪い事をしていることは他人に冷たくしているのではない。
他人は敵で嘘で丸め込もうとしていることに気づけていないことだ。
冷たい心こそ過去を克服し、未来を作る。
まず人間は嫉妬なんて言葉などたくさんある。
意味不明な理由で嫌われるのだから、自分が意味不明なことをしても大丈夫だ。
嘘つきこそゴミと同じと考えていい。
真実があるのは自分と、時間と、結果だけだ。