戻ってはいけない

他人からの批判に負け、自分を直す。

これの限界に達するまで何もしなかった。

自分の理想を他人の批判で捨ててしまう。

そんなものなのか。

大切な人を最後に捨て去る勇気もないのか。

人に騙されて生きいることを忘れている。

本能を捨て去るために攻撃、支援をしていることを。

育てるというのも本質を返せば自分の考えの分身を作らせているのと同じだ。

文明、文化を利用し、カッコ悪くても自分の理想を実行しなくてはならない。

頼れるのなら頼り使うしかない。

生まれてきて背負った運命と文化、文明を見てきて教わった運命なら生まれてきて背負った運命を優先して実行しなければならない。

文化、文明を優先してしまった先には戦う決意も何もない世界が広がっている。

しかし、生まれて背負った運命を実行するには大変で中々大きく実行することはまずできない。

ブラックなことでもしたいのであればそれを正しいことにしなくてはならない。

 

結局裏では敵同士組んでいるというのが常識。

してはいけない、これは敵同士が自由に人を傷つける為に組んで起こしていること。

理想のためならそんな日常、危機、信頼のあるものも使わなければいけない。

 

とにかく何も持っていない、弱いでは何も解決できない。

そして少し成長しても慢心してはいけない。

努力は過去の自分に勝ったこと、その時の他の人間に勝ったことを考えるべきだ。

自分を過去とプラマイで考えていると、何もしていないと考え不幸になる。

 

何もしていない時は自分で分かっている。

ダラダラのバランス偏りや弱さが急激に増えた時なんかがそうだ。

そんな時は自分が何もしていない事がよくわかる。

1つでも何かやることを持っているならそれを続けることこそ意味がある。

 

カッコ悪さから逃げる事は他人にカッコいいと思われたいという間違った考えだ。

 

この考えはあくまで何にでもカッコ悪くなれと安直に言っているわけではないんだ。

カッコ悪い所を認める、そこからの反省もいるだろう。

しかしカッコ悪いからといって納得できない考えを正しい生き方として寄って失うのは残酷だと思う。

 

カッコ悪くても、辛かった時に抱いた憧れとカッコ良さのことを忘れてはいけないし、あの時と今感じるすべてが敵になったことも忘れてはいけない。

良心すら敵になる瞬間は沢山ある。

汲み取るのに必死で結局自分を切られてしまうことも沢山ある、あり続けるのが筋になっている。

 

病気は嫌いになった方がいい。

病気にならない人の言うことは最悪かつ上手く隠している残酷さがある。

病気を心配してくれる事は確かに嬉しい。

しかし病気になった人の気持ちを考えようとしても、その先には付き添いの人は自分の戦った自慢を強く使ってしまう。

そしてその弾は思いやりがないに変わる。

 

この言葉によってあの時の地獄の一因となってしまった。

 

確かに人の気持ちを考え理解するのはいい事だ。

苦しんだ人に追い討ちを掛けることばはあまりに残酷過ぎることもあり、本当の良心を持つ人間はまずできない筈だ。

そしてこんな文章だけでその人たちの気持ちを書き表すことなんて微塵も出来ないし、及ばない苦労があるからだ。

また近くにいて寄り添った人もそうだろう。

 

しかし、それを言うならどうしてあの時自分は話に外されたのか、自分に考える力がなく特に興味を持てない自分だっからというのも一つだ。

 

あの時にやはり破綻している関係なのかもしれない。

 

お互い何も見てこなかったからだろう。

外にバレること、思いやりのなさが引き起こした事でもある。

 

お互いのズレはお互いを傷つけるだけのモノを確実に生んだし、本当はコレは運命のあり方を考える体験だったのかもしれないと思う。

家族も親友も友人も長い時間を過ごしてもいつかは終わりが来ることを知らせているのだと思う。

まず命のタイムリミットは全員にあるし、人を求めて何もないことを知った先の結果を今ちゃんと見れるようになったのかもしれない。

 

人に認められたいなんて感情は無くなってほしい。

気持ち悪く、下劣で、自分を倒そうとする奴らの手先であるからだ。

自分は結婚は反対だ。

まず出来るか出来ないかコレもすごく重要にはなる。

モテない人が結婚を語る資格を与えられない、このゲームをやってない人にやる資格はないと言われることもある。

だけど確かにやってみるとそうでないことは沢山ある。

ゲームや彼女彼氏の関係は解消する事が出来るからだ。

しかし結婚は責任の多さがあり、簡単に踏み込んではいけない。

責任を考えられる人はしてもいい、でも責任、気遣いが嫌いな自分は悪夢としか思えない。

家族が大事、欲しいならそれはその人の考えだ。

 

こんな風に誰かに決断を委ねると自分を自分で殺しているような生き方をしてしまう。

出来なさそうなら出来ないでいい。

自分の生き方は責任と運命の道、自分の心こそ大事になってくる。

好きでもない人は愛せない。

そして相手の人には迷惑だ。

これは大切な考え方だ。

責任の重さによって自分の許容する範囲、自分のあるべき姿がわかる。

正しさはそれぞれ個人にある。

それを見つけたら大切にしなくてはならない。