断ち切る

やっぱり強くなること、それが本当の解放、開放。

本能を取り戻す。自分だけで上げられるものはとにかく頑張ること。

敵は常にいることを忘れない。

そして、味方は自分の中だけにいるということ。

味方のフリをするやつを追い過ぎない。

追いすぎて、大切なものに備える体力を失ってはならない。

自分の幸せを願えない者が他人の幸せを願うのは良くない。

相当な信頼と絆がない限りそんなものは存在してはならない。無理に作って逃げない。

無理な納得は逃げと同じである。

他人が悪いこともあるし、自分が悪いこともある。

自分の悪いところばかりに目をやらず、他人の悪いことばかりに目をやらず。

しかし他人は他人だ。自分の中で嫌いを力に変えられ、誰にも迷惑かけてないなら嫌いで結構だ。

迷惑をかけているか不安なんて言うことは忘れるべき甘えごとだ。

自分達で間違える先は間違っていない。

自分は何か社会、歴史になお残せる人間で今あるのか、なら過激でも遠吠えでも他人に直接迷惑かけず、頭の中でやる、一人でやるなら、なんて素晴らしいことだろう。

病など以外は辛い先に幸せがあるかと言われると、そんなものは確実ではないし、嘘かもしれない。

しかし、戦う心こそあるべき姿だ。

人間関係に劣っているなどというものはない。

嫌なら切るのもありだ。距離を取るのも必要だ。

じっくり人間を見るのもそれまたいい。

しかし、時間のことを考えると、自分のできていないこと増えて、多い。

人間関係も漫画も文字も変わらない。人間が作ったものからなら、十分変えがきく。

一人が怖くなくなったらもう戦える。

寂しくてもそんな心はいらない。

一つの目標を早く終わらせる。

慢心という心が一番恐ろしい。

慢心は2通りだ。

・自分の不安、自分を信じないもの

・結果に満足

実は似ている。だから慢心で括れる。結果に惚れ込んで他の世界を知らず、いい人であろうとする。これが恐ろしい。他人に教える暇があるなら、もっと強い敵と戦うことを目指すべきだ。もっと自分の心、力の基盤を万全で結ばれた砦にするべきだ。

自分で長城を築くべきだ。

人への心配が時に自分の力の妨げになることは覚えておくべきだ。

自分で見極めること、自分から離れるための言い訳と括るのはあまりに辛く、善のココロからくるものもある。

でも、それでも、自分が危機にあることを忘れてはならないし、自分から逃げてはならない。

自分にしがみつき、全てと戦う必要がある。

本当に個人、人それぞれだから、自分の生き方、他人の生き方がソレゾレにあることを忘れない。

2021 12/28